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2011年11月24日

大友宗麟の頃の貿易港としての府内

1550年ごろの府内はポルトガルの香り

が町に漂っていました。

象が歩いていたんですよ

もちろん南蛮人も






博多港も大友宗麟が管理していました。

大阪の堺の街とほぼ同規模だったそうです。

大友宗麟が22歳の頃ザビエルも来ました。



                                                                            瓜生島



沖の浜では、明船の積み下ろしも

行われていたんでしょうね。

1570年過ぎにはポルトガル船も着いてたみたいです

それまでは、中継で来ていたみたいです。




                          勢家町南蛮貿易港跡





 
                        かんたん公園旧フェリー乗り場   


Posted by アイキュウ at 23:33Comments(0)

2011年11月24日

豊後大友家の始まり

大友家の系図ですが、

豊後大友家は藤原秀郷に始まり

22代、大友義統で終わります。

朝鮮出兵で逃げ帰り、

秀吉の喚起を被り、結局取りつぶしになり

石垣原の戦いで黒田官兵衛に負け滅びてしまいますが。

高家として残ったのは運が良いと言えるのでしょうか。

http://homepage2.nifty.com/mai-hp/keizu-otomo.htm

で見てください。

大友氏館跡(上原館)は大分市街から上野が丘方面にいけば

見ることができます。

バイバスができ大道トンネル手前を左に曲がり。

大友氏遺跡体験学習館のほうに行けば

いろんな大友氏の遺跡が見ることができます。


大友氏館跡

大友遺跡発掘現場

  


Posted by アイキュウ at 08:40Comments(0)

2011年11月23日

大友宗麟がメジャーになる日

大分の街がこれから変わっていくと思います。

また、新しい総合施設ができ、

駅の南側が発展していくと思います。

大友氏の遺跡も展示される、

博物館ができるでしょう。





大友宗麟はまだ、大分の一部の人にしか

興味を持たれていません。

長崎の坂本竜馬みたいにやはりメジャーじゃないし

楽しめるミュージアムを作ってほしいですね。

大分県人の人が、もっと大友宗麟を誇りに

思えるようになって欲しい。

大友家遺跡の正式な発掘調査が始まって

約10年の月日が経とうとしている。






熊本なら加藤清正、福岡なら黒田孝高、長政親子

熊本城や水前寺公園、福岡城跡や大濠公園、

大分と比べられる佐賀でさえ鍋島直茂や唐津や伊万里焼

などが有名です。

何故、豊後、豊前、肥後、肥前、筑前、筑後全部所領だった

大友宗麟がそれほど有名ではないの?





薩摩から府内の町を焼かれ、蹂躙されたからなのかなあ

他県の人に聞いても、きっとザビエルというお菓子は知っていても

大友宗麟はお菓子よりも有名でないかも知れません。

大分の人からも偉業が忘れ去られていく

大友宗麟が今のお父さんたちとリンクしそうで空しくなります。

かくいう、自分もそうであります。

昔は強く、偉かったお父さん、定年退職して、家でゴロゴロ

お母さんや子供たちからは邪魔にされ、

お前たちの為に一生懸命働いたと言えば、

仕事しかすることが無かったんじゃないの

と言われるお父さん、

お金はないけど何かやりたいお父さんは、

大友宗麟関係のボランティア団体たくさんあります。

大友宗麟の時代、府内の町が

堺に匹敵する貿易港だったことは

忘れないでください。

日本一の港で象や南蛮人が歩いていたのですよ。
  


Posted by アイキュウ at 18:00Comments(2)