二階崩れの変 その後

アイキュウ

2011年02月04日 02:24

大友宗麟と大友義鑑やはり仲が悪かったのでしょうね。

宗麟の初陣の詳しい話も詳しく記されていない。

普通、戦国の武将は何歳に初陣であり、

どういう活躍をしたという内容が書かれるはずであるのですが。

父親から見て、性格粗暴、体弱い、昔の女房の長男

くらいにしか見られていなかったのでしょう。

父親に愛されず、母親の愛も知らず(宗麟の幼いころ死去)

その、幼少期の不安定さが、大人になっての年増漁りや

人の迷惑は考えない性格になっていったのでしょう。

しかし、宗麟も信長と似たところがあり、

信長が楽市楽座を作ったように、経済的手腕には長けていた、

何故なら、博多港や府内港など九州の大きな港を所領し、

上方、朝鮮、明、東南アジア、南蛮などとの貿易で

巨万の利益を得ていたものと考えられます。

織田信長への贈り物や足利将軍への惜しみない

贈り物での、九州探題などという役職をもらっています。

戦国武将というより、経済的手腕に長けていて、

古いものには固執しない性格だったと考えられます。

神社、仏閣を焼いたり、らい治療院を大友館の近所に

置いたのもそういう表れだと思われます。

強い優秀な部下をたくさん持っていたので、

上手く使いこなせば、西日本は制覇できたかもしれません。

やはり、最後は心の弱さがキリスト教という

現実逃避の世界に自分の身を置き、

心の安らぎをを求めたのかもしれない。

やはり、最後は心の平安を自分なりに

築きたかったのだろう。

哀れなロンリーチャップリン