二階崩れの変 その後
大友宗麟と大友義鑑やはり仲が悪かったのでしょうね。
宗麟の初陣の詳しい話も詳しく記されていない。
普通、戦国の武将は何歳に初陣であり、
どういう活躍をしたという内容が書かれるはずであるのですが。
父親から見て、性格粗暴、体弱い、昔の女房の長男
くらいにしか見られていなかったのでしょう。
父親に愛されず、母親の愛も知らず(宗麟の幼いころ死去)
その、幼少期の不安定さが、大人になっての年増漁りや
人の迷惑は考えない性格になっていったのでしょう。
しかし、宗麟も信長と似たところがあり、
信長が楽市楽座を作ったように、経済的手腕には長けていた、
何故なら、博多港や府内港など九州の大きな港を所領し、
上方、朝鮮、明、東南アジア、南蛮などとの貿易で
巨万の利益を得ていたものと考えられます。
織田信長への贈り物や足利将軍への惜しみない
贈り物での、九州探題などという役職をもらっています。
戦国武将というより、経済的手腕に長けていて、
古いものには固執しない性格だったと考えられます。
神社、仏閣を焼いたり、らい治療院を大友館の近所に
置いたのもそういう表れだと思われます。
強い優秀な部下をたくさん持っていたので、
上手く使いこなせば、西日本は制覇できたかもしれません。
やはり、最後は心の弱さがキリスト教という
現実逃避の世界に自分の身を置き、
心の安らぎをを求めたのかもしれない。
やはり、最後は心の平安を自分なりに
築きたかったのだろう。
哀れなロンリーチャップリン